2021年10月18日
こんにちは!
本日の四年生ブログははまくんのブログです!
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4年 浜口 直人 (はまぐちなおと/ MF/ 法学部/ 成立学園高校 )
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『ありがとう』
まず初めに、、、
1年半以上にわたり猛威を奮っている新型コロナウイルスの
感染拡大防止と終息のために、感染のリスクを背負って尽力されている
医療従事者の方々をはじめ、最前線で闘ってくださっている方々に感謝申し上げます。
医療従事者の皆様のおかげで、
私たち國學院大学蹴球部は2回のワクチン接種を行い、
コロナ禍以前に限りなく近い活動をすることができております。
さて、本題に入りますがついに僕のところにも
「4年生ブログ」が回って来ました。
今までなんとなく上級生の4年生ブログを読んで来ましたが、
いざ自分が書くとなると何を書こうかすごく迷います。
三日三晩、寝る間も惜しんで考えた末、(嘘です5分で思いつきました)
『両親への「ありがとう」の気持ちと共に17年間のサッカー人生を振り返ろう』
という結論に至りました。
僕のブログは誰かに何かを伝えたいというわけではなく、
「4年生ブログ」というきっかけをもらったので、
自己内省するという感じの、心を整理するメモ書きみたいなものです。
カッコつけずに素直な気持ちをありのまま書こうと思うので、
拙い文章になってしまうと思いますが、何卒ご容赦ください…
僕がサッカーに出会ったのは確か5歳の頃。
あまり覚えていませんが、おそらく父親がサッカーをしていたのがきっかけです。
幼稚園のチームの記憶はほとんどありません。
多分サッカーが楽しかったという事と、大会で優勝した気がする。
ってことぐらいです。
小学校から、僕はプロサッカー選手を夢見て、地元のクラブチームに入りました。
ここから中学卒業までの約9年間、このクラブチームでプレーするのですが、
この9年間が本当に辛かった。
(この先の人生であれ以上に辛いことはないと自信を持って言えるくらい辛かった。
あの経験に比べたら…って考えるといつも大丈夫だって思います。)
何がそんなに辛かったかというと、とにかくコーチが怖かった。
そして同学年はみんな辞めてしまい僕しかいなかったので常に集中指導だった…
小学校2年生で初めて参加した合宿では、
20キロくらい走らされたり、ご飯を吐いてもまだ食べさせられたり…
普段は中高校生と一緒に練習して、負けて怒られて
いつも泣いていました。
母親は練習の迎えに来てくれていたので、
そんなコテンパに怒られ、ボコボコにされている僕を毎日見ていたわけですが、
「見ているのが辛かった。」って言われたことを覚えています。
中学校に入学してからは、中学のサッカー部とクラブチーム両方に所属しました。
サッカー漬けの毎日でしたが、
部活動は友達と楽しくサッカーをする天国。
クラブチームはコーチに怒られる地獄。(表現の仕方が悪くてすみません…)
みたいな感覚でした。
そんな環境に耐えられなくなった僕は、
中学校2年生に時に、クラブチームを辞めようと決意しました。
母に話した時、母は泣きました。
多分、やめるのが悲しかったとかじゃなくて、
もう怒られるところを見なくて済むと思って、
ホッとしたんだと思います。
というわけで、コーチに会うのも最後だと思い、腹を括って辞めることを伝えました。
そしたら、今まで経験したことがないくらい怒られました。
「なんのためにプロ目指してたんだ」って。
ここでコーチと話し合ってあることに気付かされます。
それは「目標達成の根源が自分のため」の人は弱いということ。
どういう事かと言うと、そのままの意味なのですが、
自分のために何かをやる人って、それをやりきるも諦めるも自分次第なんです。
だけど「根源が誰かのため」の人は自分勝手で諦められない。
背負っているものがあるから。
だから僕は根源が誰かのための人の方が強いなって思っています。
と言うわけで結局、クラブと部活動の両立を続けもう一度プロを目指します。
今度は自分のためではなく、応援してくれている人、支えてくれている人のために。
そこから、腰椎分離症になって半年間離脱したり、
行きたい高校のサッカー部のセレクションで2回落ちるなど、
様々な挫折と紆余曲折を経て、中学校卒業。
(この辺りが僕のサッカー人生のどん底です。笑)
高校は成立学園に行きました。
「高卒でプロになる」と覚悟を決めて、
寮にまで入って3年間の全てをサッカーに捧げました。
6時に起きて学校に行って、
14時から部活をやって、
21時まで自主練をして、
その後身体のケアをして寝る。
みたいな生活を3年間。
寮には門限もあったし田舎だったから遊ぶ所もなく、とにかくサッカー。
僕は走るのが苦手だったから、唯一のオフの月曜日も走って自主練して…
部員約180名いる中で1番練習しました。
でも、トップチームで試合に出ることはできませんでした。
母親は僕の試合を毎週のように観に来ていました。
家から2時間以上かかるのにほぼ毎週。
僕はたくさん練習しているのに結果が出ない悔しさ、
恥ずかしさで試合を観に来てほしくありませんでした。
母親が観に来ても何も話さなかったり、
帰れって言ったり本当にひどい始末。
そんなこんなでサッカーにフルコミットした高校3年間でしたが、結果を出せずに引退。
悔しさを心にしまい、大学卒業後にプロになることを目指し、國學院大學に進学。
しかし、入学してからあれ?の連続。
サポという自主練ができなくなる制度。
選手によってモチベーションに差があるチーム状況。
そして一番は自分の能力不足。
だんだんと目標を口にしなくなりました。
そして3年生になるタイミングでプロは諦めました。
(さっき誰かのためにやってるから諦められないとか言ってたじゃん。
って思った方すみません。重々承知ですが、葛藤の末に諦めました…。)
目標を失った僕はなんとも言えない虚無感にかられました。
そして心にぽっかりと穴が空いた状態がしばらく続きました。
とは言ってもそんな状態でずっと過ごしているわけにもいかないので、
すぐに心を入れ替えました。
プロになるだけが全てじゃない。
サッカーを通して成長した姿を両親に見せられるように、
そして大学サッカーを後悔なく終えることができるように、
またサッカーと向き合いました。
正直、この4年生ブログを書くにあたって、
大学時代を書くのが一番難しかったです。
それは多分、心から頑張ったって言える自信がないから…
小中高校時代に比べたら努力が劣っているから…
プロを目指していたけど心の片隅で自分の能力では厳しいんじゃないか…
って自分を信じてあげられずに過ごしたから。
そんな僕を両親は何も言わず見守ってくれていました。
とまあ、ざっとサッカー人生を振り返ってみました。
まだまだ書きたい出来事も、思っていることもたくさんありますが、
全部書いていたらキリがないのでこの辺にしておきます。
ここまで自分の人生を振り返ってみて、
やっぱり思うことは両親へのありがとう。
5歳の時にサッカーに出会わせてくれてありがとう。
小学校時代、見ているのも辛いのに送り迎えしてくれてありがとう。
クラブを続けさせてくれてありがとう。
中学校時代、どん底の時支えてくれてありがとう。
寮に入ることを決断した時、一度は引き止められたけど、
送り出してくれてありがとう。
高校時代、観戦に来ることを煙たがる僕を無視して、
毎週のように試合を観に来てくれてありがとう。
今ではもっとサッカーしてるところを見せてあげたいと思っています。
大学時代、色々な葛藤があったけど、
何も言わずに遠くから見守ってくれてありがとう。
あと2試合。絶対に観に来てください。
5歳からずっと生活の中心にあったサッカー。
楽しいことも辛いことも苦しいこともたくさんの経験を与えてくれたサッカー。
そして僕の価値観や性格、人となりを形成してくれたサッカー。
そのサッカーと出会わせてくれて、
17年間続けさせてくれた両親。
一緒に走りきってくれた両親。
本当にありがとう。
そしてこれを書いている10/7。
サッカー人生で残すところあと2試合。
今はIリーグ優勝に向けて戦っています。
ここまでほとんどうまくいかなかったサッカーだけど、
最後は勝って終わりたい。
そして両親にサッカーを通して成長した姿を
17年分の感謝を示すため、
残り2試合、全力でプレーします。
浜口直人
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はまくんはいつもしょうたくんと一緒にふざけている印象です!2人が合わさると本当に面白いです。
また本当に優しくて、はまくんがいると場が和むような気がします。マネージャーにも気さくに話しかけてくれました。
そしてはまくんはキックに定評があります!
それはサッカーに対してのストイックさの現れだと思います。
練習前に早くきて筋トレをしたり、練習後にはボールを蹴っている姿が印象的です。
また本当に努力家で一人暮らしをするのに自分の力だけでお金を貯めたそうです。いろいろな面で努力し続けられることは本当に凄いなと感じます。はまくんは努力の天才です!
残りの山学戦でU-22Aの試合は最後になります。
最後まで全力な姿をお父さんお母さんに見せてあげてください!
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本日も最後までお読みいただき有難うございます!
次回も宜しくお願い致します。